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震災から一年が経ちました..

早いものですね..
今日で東日本大震災から一年が経過しました。

震災以降、東北地方では津波や原発の被災ニュースが流れない日はありません。

時として心が痛んでならない悲惨な内容のニュースも多く見聞きします。
でも、人々の関心がまだ震災から離れずに被災者への思いを持ち続けていることに安堵感も覚えます。

それは、今ではすっかり平常な生活を送っている自分に対しての後ろめたさなのかもしれません..




今まで、ブログで震災のことに深くふれなかったのには理由があります。

それは、自分の中であまりにも事が重くて、ましてや自分のちっぽけな被災体験など、沿岸部や原発被害地域に住む人のことを思えば、軽々しく記事にすべきでないと言う気持ちがあったからです。

でも一年が経って、少しずつ整理がつくようになりました。

そしてわかったことがあります。
被害の度合や重さに違いはあれど、やはり自分も被災者のひとりであったということです。

今後、近い将来、日本各地で起こる可能性のある大地震。
またその被害度合も地域によって開きが出ることでしょう。
ひょっとしたら、私のこの軽度な被災体験も役に立つことがあるかもしれません。

ここからは、私が今回の震災で体験したことを綴ってゆきたいと思います。
つらつらと取り留めもなく、本当に長いのでお急ぎの方は飛ばしてくださいね。






震災が起こった時、私は仙台市街にあるオフィスに居ました。
突如、ガタガタと揺れ出した地震はあっと言う間に、今までに体験したこともない大きな揺れに変わりました。

ガッシャン、ガッシャン。
建物が悲鳴のような大きな音を立てて、執拗に長く横に揺れ続けます。

『もういい。早く止まってほしい。』
まるで質の悪いアトラクションに乗ってしまい後悔している様な錯覚に陥りました。


周囲では色々な物が落ちたり倒れる音がして、悲鳴の様な声をあげて泣き出す同僚もいました。

机の下に潜ったものの揺れが大きすぎて、机が頭にバンバン当たってきます。
これはまずい思い、ひざ掛け毛布を頭に当てながら揺れがおさまるのを待ちました。

ようやく揺れがおさまって、窓の外に目をやると目の前のビルの大きな外壁パネルが落下して、バス停を直撃していました。

その後、避難場所である近くの公園に全従業員が集められたのですが、相次ぐ大きな余震に時折怯える声があがります。
近くに見える30階建てのビル屋上の巨大な鉄塔が、途中で折れてぶら下がり、余震の度に今にも落ちそうです。

『とんでもないことが起きたんだ。』
そう実感しました。

でも、この時はまだ内陸部に住む私達は、沿岸部を襲っている巨大津波のことなど予想だにしていませんでした。
実際、会社側から解散指示はあったものの、沿岸部に住む人達への足止め指示はありませんでした。

このような未曽有の事態が起き、皆が思うことはひとつです。
『家族の安否を確認したい。一刻も早く家路に着きたい。』

その気持ちがあだとなり、今回の震災では市街地で被災し助かったものの、沿岸部の家への帰宅途中に津波に巻き込まれた方も居るようです。
企業はこの教訓を広く共有して、今後の災害時対応に活かしてほしいと思いました。



今回の大震災、関東でも多くの帰宅難民の方が出たと後のニュースで知りました。

私は運の良いことに、この日は自転車通勤でした。
同僚達が何時間も苦労して帰宅を果たしたところ、30分ほどで自宅に辿りつくことが出来ました。

帰宅途中、主人ともメールでとりあえずの安否確認ができて一安心。
しかしながら、市内からかなり離れた仕事先で被災し、帰宅が困難な様子。
その後は通信も途絶え、顔を見るまでは予断を許せないという状態でした。



途中、小さな果物屋が開いているのを見つけ立ち寄りました。
この時、通りすがりのおじさんから掛けられた言葉が今でも忘れられません。
果物を物色している私に向かって、おじさんが言いました。

『こんな時、そんなの買ってもダメだ。パンを買いなさい。』

それだけ言っておじさんは通り過ぎてゆきました。

その時は何の事かさっぱりわかりませんでしたが、その後、おじさんの言葉を痛感することになります。

震災後は、人は興奮していて半分パニック状態が続くんです。
相次ぐ余震が続く中、いくらガスコンロなどの非常用具があっても、とても調理をしたり火を使う気にはなれません。
そんな中、とても助かったのは冷凍庫に入っていた菓子パンでした。

パンなら手も汚さず、洗物も出さず、火も使わず、お腹を満たすことができます。

『本当だ..あのおじさんの言う通りだったな..』
しみじみと感じながら、きっとあれはおじさんの体験談なんだろうと思いました。

その後も、我が家では冷凍庫にパンを欠かさないようにしています。



自転車で家路に向かう途中、水道管が破裂したのか、アパートの二階からものすごい量の水が滝の様に噴出している光景を目にしました。

自宅近くの車のショールームのガラスが粉々に砕け散っているのを見た時は、不安が一層大きくなりました。
『猫たちは無事かな..』

猛スピードで自転車をこいで、自宅マンションに辿り着くと案の定エレベータは止まっていました。
呼吸を整える暇もなく、自宅のある階まで一気に階段を駆け上がりました。

『猫は無事か..猫は無事か..』

幸い、猫達は皆無事でした。
皆、私が部屋に入ると目を真ん丸くして硬直状態です。
そうとう怖い思いをしたのしょう。
nonoはこの震災の後、しばらくは食欲がなくなりました。


家の中の被害は思ったより少なくて安心しました。
しかし、それは日頃から地震対策を万全にしていたことによるものでした。

元々、心配性の私は、家のほとんどの家具を固定していました。
食器棚の中には滑り止めのシートを敷いていましたし、揺れを感知すると扉が開かないようになるストッパーも付けていました。

この肝心のストッパーも扉がちゃんと閉まっていなくては効力を発揮しません。
普段から扉を開けたらしっかり閉めるということも習慣づけられていました。

反面、固定されていないものはありとあらゆるものが倒れていました。
油断して対策を怠っていた液晶テレビは倒れて画面が割れてしまいました。


ここで教訓となったことがあります。

今回の様な大震災が起こった場合、頼れるものは日頃の備えあるのみです。
被害をいかに最小限に食い止めるか、それが震災直後から始まる生活の立て直しを大きく左右します。

よく地震対策をしていない人は『その時はその時だ』とおっしゃいます。
でも、本当にその時がきてしまったら..

同じマンションで地震対策をしていなかったお家は棚がみな倒れ、割れた食器がそこらじゅうに散乱して、家中がめちゃくちゃだったそうです。
とてもあの状態では生活ができないと嘆いていました。

震災後は、通常水も電気も断たれます。
割れた食器の粉を掃除機で吸い取ることも汚れた床を雑巾でふくこともできません。
もちろん、ゴミの収集も長い期間ストップしてしまうでしょう。

水道の復旧までに一か月ほど掛かった地域もある中、お家の中が片付かず生活のスペースも確保できない状況はかなりストレス下だと思います。


私は帰って猫たちの安否を確認してから、真っ先にお水が出るかを確認しました。
幸い、マンション住まいでオール電化だった為、屋上に蓄えられた貯水タンクの分だけはお水とお湯が出て、それは翌日の昼ごろまで続きました。
おかげでお風呂に水を張り生活用水の確保ができました。

そして、日が暮れる前に急いで家の中の散乱したものを片づけました。
また大きな余震がきても大丈夫なように家中のものを確認してまわり、危ないものは初めから倒しておいたり床に降ろしたりしました。
突っ張り棒も本震で緩んでいないか確認しました。

そうこうしている内に辺りはどんどん暗くなってゆきました。

マンションの大きな窓からは明かりを失った街の姿が見てとれました。
ひとり心細く懐中電灯を握りしめながらその様子を眺めていました。
これから真っ暗な時間が始まるのかと思うと緊張で体が強張りました。


ラジオでは、逼迫した様子で津波の惨状を伝え続けています。
でも正直、この時はそれがどれほどの状況なのか、想像することができませんでした。
ただ、街中にひっきりなしに鳴り響くサイレンを聞きながら、とても恐ろしいことが起きたんだと言うことだけが実感として湧きました。



主人が無事家に辿りついたのは夜の10時ごろでした。
車で外出していた主人は、途中、橋が何か所も通行止めになったりで、かなり怖い思いをしたようです。
車のテレビで津波の映像を見た主人は、『えらいことになった。大変だぞ。』と繰り返していました。

主人の同僚が仙台空港の近くに住んでおり、安否確認が取れず心配をしていました。
テレビのニュースで地図を確認する度に『やっぱりやばい..津波がきてるかもしれない..』と言って、携帯からメールを送り続けます。

翌日、その方から無事のメールが届き、家族みんなで学校に避難していることがわかりました。

きっと地震直後は着の身着のままで学校に避難し、寒い体育館で家族身を寄せ合いながら『お家はどうなっているんだろう..』と不安な夜を過ごしたのだと思います。
幸い、お家は床下浸水で済んだものの玄関先には近くの養豚場の豚の死骸が流れ着いていたようです。
一歩間違えば、惨状だったことには違いありません。

主人の会社の入っているビルは地震被害で立ち入り禁止となり、後に建て壊しが決定しました。
一週間ほどは、同僚の安否確認や情報収集、避難所めぐりに追われていました。


私は震災後、月曜から出社をしました。
日曜に電気が復帰し、壊滅的な沿岸地域の被害映像をテレビで初めて見ました。
とてつもない喪失感とショックが体を襲って、自分に今何ができるかと考えたら、仕事に行くことぐらいしか考えられませんでした。

私の現在のお勤め先は東北のインフラ設備を担っている会社です。
事務所に入ると既に緊急対策本部が設けられていて、人の出入りがひっきりなしで混乱している様子でした。
ゴミ箱には、数えきれないほどの非常食の缶が溢れていました。
『あの後、会社に留まった人がこんなにも居たのか..』正直驚きました。


さすがに、私を含め、派遣社員で月曜から会社に出てきた人はまばらでした。
その中で、ひとりお昼ご飯を用意できなかった女の子が居ました。

私は前日にはお水も電気も復旧していたので、おにぎりを持参していました。
でも、本当にその子はお昼に食べるものが何もありませんでした。
もちろん、飲食店やコンビニなどやっている筈もありません。

そんな中、社員の方達が社内で販売されていた幕の内弁当を食べ始めていました。
お弁当の数には限りがあり、派遣のみんなはお弁当が売られていることすら知りませんでした。

私は思わず自分の上司に言いました。

『●●さんは、お昼に食べるものがありません!』

上司ははっと気づいた様に引き出しからカップヌードルを差し出しました。

本当にこの日本であの様な経験をするとは..



その後、日が経つに連れて職場のメンバーが揃い始めましたが、水道とガスがまだ来ない子達は何日もお風呂に入れずにそのことを気にしていました。
みんな髪の毛がベトベトしていましたし、耐えきれず会社の洗面所で洗髪する女子も居ました。

一日三食の食糧を確保するのが困難な時期でしたから、その後お休みを貰って朝からスーパーに並びました。
長い列に並んでいる最中に少し前にいた若い女性が貧血で倒れました。

なんとなく、わかる気がしました。
『日本人はおにぎりさえあれば生きていける』なんて言うのは、今の日本人には無理な話です。

同僚達が皆口にしていた言葉です。

『なんでかなぁ。異様にお腹が空くよね。』
『おにぎりばかりだと力が入らないし精神が病むよね。』

当時の沿岸部の状況を思えば、まことに贅沢で不謹慎なお話ですが、これもまた私の正直な被災体験のひとつでした。




よく、東北の人達は我慢強いとか人が良いとか言われますよね。
それを象徴するような出来事に出くわしました。

その時、私は近所のお肉屋がお店を開けるというので列に並んでました。
雪が舞うほど寒空の元、列もどんどん長くなって一時間半ぐらい経ったでしょうか。

お店の人が出来てきて私の四人前ぐらいで手をやって『ここでお肉は終了です』と言いました。

『えっ..』
みんな一瞬唖然として、でもその後誰一人と文句も言わずに『残念。』とか『仕方ないね。』と言ってその場を立ち去ってゆきました。

それぞれに今置かれている状況をわきまえ、慎み深い言動を心掛けている様でした。
これはやはり東北人気質ならではだと思いました。



生活がほぼ元に戻った頃、次に自分をさいなませたのは同じ被災者でありながら、すぐに生活を取り戻した自分と今もなお被害で苦しんでいる人々とのギャップでした。

仕事でもそのことで気持ちが滅入ってしまう出来事が何度もありました。
私は派遣先の業務で福島県の担当をしていました。

安否確認の電話をし、無事契約者さんと連絡がとれ安心したのもつかの間

『おらは助かったけど、ばあちゃんは流された..。』
『家も何もかも流された。もう一度、書類を送ってほしい。』


「心よりのお見舞いを申し上げます..」

そんなありきたりな言葉しか発せられない自分がとても安っぽく空虚に感じました。

仮設住宅に入っている方もたくさんいて、放射能被害を恐れて県外の親戚の家を転々としている契約者さんもいらっしゃいました。
仮設住宅に移り住んでいれば転送される筈の郵便物が宛先不明で返ってきます。
それが津波被害の甚大な地域の住所だったりすると気持ちが沈んでしまうのです。






そんな時に宮城県動物愛護センターでの被災ペットのボランティアを始めることになりました。
ボランティアと言っても週末だけワンコ達のお散歩などのお世話をする簡単なものです。
沿岸地域で瓦礫の片づけや泥出しを行っているボランティアさん達とはまったく比になりません。

でも、平常といってもやはりどこか違う、気持ちの上ではまだまだ複雑な思いで生活を送る中、無理なく続けられて自分が思いを強く寄せられるもの。
そう考えたら、被災ペットのボランティアしかありませんでした。

被災ペットの為と言うより、自分自身の為にいうのが正直なところかもしれません。


そのボランティアセンターも震災からちょうど一年の今日で閉所となります。

残念ながら飼い主さんとの再会や新しい里親さんとの出会いを待たずに亡くなったワンコもいます。
新しい里親さんとのご縁のなかったワンコもいます。

でも、多くのペット達は新しい里親さんの元で愛情を受けながら幸せに暮らしてくれているようです。
それは本当に喜ばしいことです。

保護活動を中心となって支えた続けた獣医師会の先生方、スタッフの方々のこれまでのご苦労はいかほどだったでしょう。
まさしく被災ペット達のために捧げた一年だったのではないかと思います。

今日は、夫婦で最後のボランティアに行ってきました。

震災から一年..
確かに節目の日ではあるけれど、本当の意味での復興はまだ程遠く、それぞれの人がそれぞれの思いや事情を抱えながらこの日を迎えているのではないでしょうか。

私もこれからどうしたら東北の復興に携わってゆけるのか、模索し続けたいと思います。
毎日一生懸命お仕事もして、少しでも東北の社会に貢献してゆきたいです。
今まで以上に東北各地を旅することで、ほんの少しでも復興の役に立てたらと思います。
そして、みなさんにもっと東北の素晴らしさをお伝えしていきたいです。


最後までお読みいただいた方がおりましたら本当にありがとうございました。
どうか、今後も東北のことを応援してくださいね。


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Category : 東日本大震災 被災ペット / TrackBack : 0 / Comment : 10


Comment

読ませていただいて、
涙が止まりませんでした。

このワンコ、この先はどうなるのかしら?
心なしか、さびしげな目をしているように思えるのは気のせい?

今日は各局で特別番組を放送しています。
離散家族になった方たち、未だ就職難で日々の生活も困窮している方たち、心を身体を病んでしまわれた方たち・・・。

どの方の表情も疲れ切っていて、
頑張ってという言葉なんてとてもかけられないと思いました。
もうすでに限界いやそれ以上に頑張ってこられたのだから。

世界中から届いた義捐金はどうなったのでしょうか?
政府は目先のことだけじゃなくて、
もっともっと深いところまで整備して欲しいと
強く感じました。

あっという間の1年でした。

近所の子供たちの明るい声が聞こえます。
この子たちの未来に曇りのない社会が形成されることを祈ります。
2012/03/11(日) 17:01:34 | URL | 美蘭 #-[ 編集]
Re: タイトルなし
コメントありがとう。
本当に美蘭さんのいう通り、子供達のためにも明るい社会が形成されるといいですよね。

写真のワンコは『ばあば』と言う名前で呼ばれているおばあちゃんワンコです。
人間が大好きな子なのですが、老いで足腰が弱っているのと少し前庭疾患がある子なので里親さんが見つかりませんでした。

里親が見つからなかった子はもう一頭居て、頭の良い子なのだけど噛みつき癖の抜けない柴ちゃんです。

二匹は今後、どこかの動物病院で預けられて余生を送ることになります。

『ばあば』を見ていると、飼ってあげれたらなぁって本当に思います。
ボランティアさんの中にも同じ思いの人がたくさんいると思います。

『ばあば』の余生が穏やかなものでありますように。
2012/03/11(日) 17:14:32 | URL | pandanekonono #-[ 編集]
あっという間の1年でしたね。
なかなか復興がすすまないのが・・・・、ですが。
nonoさんの体験したこと、これから起こるかもしれない災害の備えにしようと思います。

犬ボラも終わりなのですね。
里親様がみつかって幸せになったワンコがいて良かったです。
2012/03/11(日) 18:05:35 | URL | のりすけっち #-[ 編集]
ありがとうございます
お久しぶりです。
いつもブログを読ませていただいています。
大変な思いをされていたのですね。
想像はしていましたが、生々しいお話が聞けて感謝しています。
私は千葉に住んでおり、震災の折、タンスが倒れたり、テレビがたおれたり、パソコンが壊れたりと、かなり、被害を受けました。
震災直後は防災グッズなどに意識をしていましたが、最近は慣れてきたせいか、あまり気に留めなくなってしまいました。
気をつけるようにします。

またいつか、お会いできるといいですね。
これからも体をお大事にお過ごしください。

久保
2012/03/12(月) 12:36:57 | URL | 久保隆太郎 #-[ 編集]
貴重な体験談をありがとうございます。
あれから一年、いろいろと感慨深く我家もこの数日は震災関連のTVを見ながら涙したり気を引き締めたりしていました。

関東エリアでも大きな地震予測があったりしますが、311の出来事を無駄にしないよう防災に努めています。

幸い立地条件の良い土地に自宅があるので、家屋の心配はそれほどありませんが、水や食料、防寒、避難グッズ、日用品などは常に備蓄するクセが付きました。
東北の方々に多くを学ばせて頂いたおかげです。
あとは東北地方のアンテナショップで買い物をする回数が増えたくらいでしょうか。

栃木に住んでいるmixiのマイミクさんご夫婦は、震災直後から毎週ずっと福島の仮設住宅に支援物資を有志で届けていらしゃいます。
息子さんも春休みを利用して、被災ペット達のボランティアに出かけられたそうです。

色んな方が自分に出来る形で行動されています。
同じ日本人として、自分が無理なく続けてできる支援をしていければと思っています。

わんちゃんへのボランティア活動、これだって勇気ある行動!直接のお世話が出来ない私たちの気持ちものせてお散歩をしてくださってたのかなーと思っていました。

心に受けた大きなショックが癒えるには長い年月が必要ですが、今をしっかり生きること、互いを思いやる精神、小さな勇気、万一の備え。
自分の心に正しく生きていこうと思いました。

(長々とすみません)
2012/03/12(月) 21:07:40 | URL | Chao #-[ 編集]
Re: ありがとうございます
久保さん、お久しぶりです!
コメント頂けるなんてなんて嬉しい^m^
でも『久保さん、たまにはこのブログ見ていてくれてるんじゃないのかなぁ』って、なんとなく淡い期待をしておりました。
それがやっぱり見ていてくれたなんて感激だなぁ(^^)

久保さんのお宅は千葉でしたよね。
だからちょっと液状化とか心配しておりました。
やはり、家の中の物が倒れたり壊れたりしたようですね。

お子さんへの怪我はありませんでしたか?
(もうだいぶ大きくなられたでしょうね(^_-)-☆)

そう言えば、つい最近あった東京マラソンのニュースを見ながら、久保さんのことを思いだしていました。
ほら、抽選で当たったのに奥様の出産日と重なったとかで(笑)

またお会いしたいなぁ。
お仕事お忙しいと思いますが頑張って下さいね(^_-)-☆
2012/03/12(月) 21:23:48 | URL | pandanekonono #-[ 編集]
Re: タイトルなし
chaoさん、コメントありがとう。

chao家も防災準備はばっちの様ですね。
恐らく、大震災が起きても、家屋が倒壊や火災が発生などの身に危険が及ぶようなことがない限りは自宅避難を選択なさると思うんです。(猫がいれば余計に)

そこが今回の地震で想定外なことでした。
ライフラインが止まるような震災=避難所暮らし だと思っていたんです。

でも現実は違いました。
みんな水道も電気もなく余震が続く中、ほとんど人は自宅で生活を送っていました。
そしてお宅によっては家の中に被害を受け片付かない状態でも、それでも会社には自宅から通勤をされていたんです。
これは意外でした。

なので緊急持ち出し用以外に、お家の中で当面の間、震災の混乱を乗りきるための備蓄も必要だと思いました。
一週間ぐらいは買い物に行かなくて生活ができるぐらい余裕の食糧備蓄があれば、会社を休んでまでスーパーの長蛇の列に並ぶ必要もありませんでした(笑)
お仕事にも安心してのぞめたでしょう。

いつもお米が古くなったり虫がわくのが嫌で在庫を置かない主義だったのですが、今はお米が少なくなると不安で仕方がありません。

chaoさんのおっしゃる通り、傷ついた方への思いやりを忘れずに自分の心に正しく、無理なく復興に協力してゆけたらいいですね(^_-)-☆
2012/03/12(月) 21:51:27 | URL | pandanekonono #-[ 編集]
Re: タイトルなし
のりすけっちさんの実家も福島県なんですよね..
福島県の人達は風評被害も含めて、今とても困難な時期にあると思います。

せめて観光の分野でだけでも貢献できるように、いっぱい福島県を訪れたいです。
福島県にはたくさん良い場所がありますし、美味しい食べ物もありますよね。


> 犬ボラも終わりなのですね。
> 里親様がみつかって幸せになったワンコがいて良かったです。
また四月に入ったら、違う場所で犬猫ボランティアをしようと思ってます。
大切なのは生活の中でのバランスだと思うので、無理なく長く続けられるボラ先を探してみますね(^_-)-☆

2012/03/12(月) 21:55:14 | URL | pandanekonono #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012/03/13(火) 23:09:33 | | #[ 編集]
Re: タイトルなし
コメントありがとうございます(^^)

計画停電ですか..
夏は暑いし、冬は暑いしそれは大変でしたね。

あとやはり食糧は大切ですね。
大規模災害の時は混乱が長期化しますし、生活事態に疲れ果ててしまいます。
そんな時、食事だけでも楽しみというかモチベーションがあがるような食糧があるとないとでは全然違います。

だから、非常食だかと言って何でもいいとかじゃなくて、ちょっと贅沢な物で、ある程度日持ちするものを取りそろえるようにしました。
例えば、レトルトカレーはボンカレーではなくて、神戸牛入りカレーとか(笑)
スープな粉末のでなくて、ホテルのコンポタージュの缶詰とか(^^)

でももうあの様なことが日本全国に起きないことを願うのみです。


2012/03/14(水) 23:23:31 | URL | pandanekonono #-[ 編集]

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